2011年3月30日水曜日

なんで?

 2歳7か月の長男が「なんで?」期を迎えました。二言目には「なんで?」 答えるとさらに「なんで?」。 今は余裕があるので一応それなりに答えています。しかしさすがに、(そこで「なんで?」はないだろう!)とつっこみたくなるときもありますし、そもそも、(やかましい!)と言ってしまいたくなる時もあります。世のお父さん、お母さん方はみなさんこれを乗り越えてこられているのかと思うと、頭が下がります。
 本日はフラワーパークに行ってまいりましたが、「なんで?」は優に100回は超えたかと思います。もっともイラッとした質問は、「なんでフラワーパークは動物園の隣にあるの?」です。(知るかー!)と一蹴したい気もちをこらえ、「両方見たい人もいるからだよ。」と、我ながらあっぱれな答えを言うと、すかさず、「なんで?」と来ました。(あん?!) 今のは完璧な答えじゃねぇのか?! そもそも今の答え、聞いてたか?! と、疲れ果てた後ということもあり、かなりナーバスになってしまいました。しかし、私は、自称ナイスパパです。こんなことではキレませんよ。何と答えたかはわかりませんが、とにかく、「なんで?」に丁寧にこたえてやりました。 ところがです。助手席で「なになになにぃ~?」と連呼するではありませんか。どうしたのだ?! ふと横目で見ると、この野郎、耳をふさいで、自分の声が変な風に聞こえることを楽しんでいるではありませんか!!! そして、私と目が合うとにやりと笑い、再び、「なになになにぃ~?」と挑発してきたのです。
 彼のおかげで、私は大変鍛えられています。「なんで?」の大方は大したことではないのですが、時々、んっ?と考えさせられる場面があります。日に日に思考することが少なくなっていく中で、彼の100回に1度あるかないかの「なんで?」のおかげで、物事を深く考えるきっかけになることがあります。2歳児って、小悪魔であり、天使でもあるのですね。

2011年3月5日土曜日

きかんしゃトーマス

 息子がトーマスを好きになったのはいつからだろう。気が付くと、家中トーマスだらけである。トーマス大全集2冊、トーマスプラレール、トーマスラーニングカーブ、トーマスボール、トーマスかるた、トーマスパズル・・・。そこらじゅう、あの気色の悪い顔の機関車でいっぱいである。豊齢線だなんて、大人でも知らない言葉を巧みに使いこなし、祖母を笑わせている。それにしても、なぜあの気色の悪い顔が付いた機関車が好きになれるのか? 大人の私には全く理解できないが、息子が好きとあれば、こちらも自ずとキャラクターを憶えていく。
 そもそも男は、動いて、音を出すものが大好きである。私も童心に帰り、いつの間にか詳しくなっていた。機関車のほかに、ディーゼル機関車がいる。貨車たち、機関車以外の働く車、などなど。どれもご多分に漏れず、気色の悪い顔はついているのだが。
 息子が一定のキャラクターものにはまっていくことに、少なからず抵抗は感じるものの、好きなればせめて教育的な価値を与えたいと思うのは、何も私だけのことではないであろう。トーマスは、イギリス出身である。英語である。そう、英語である。英語教育に猛進している私としては、もってこいの教材である。何を隠そう、私は英語を職業にしているので、息子にも当然英語を使いこなせるようになってもらいたい!と強く願っている。トーマスはもってこいの教材ではないか! トーマスのDVDを英語で見せれば、英語に慣れ親しみ、英語耳を育て、英語が好きになり、英語を必要と感じ、自然と英語ペラペ~ラになるに違いない、いや、なるに決まっている! そう確信して、私は狂ったようにTSUTAYAに通い、トーマスのDVDを借りまくって息子に見せることにした。いわずもがな、当然音声は。え・い・ご!!! とにかく英語じゃい!!! 聴いてりゃ、自然に英語脳になるになるんじゃい!!! 私は、なんて素晴らしい教育パパなのだ!!! 
 自分に陶酔しながら得意げに、音声を副音声にした。そのときである。2歳の残酷な言葉が私の純真な心を引き裂いた。
「えいご、いや。」
え、今、何て言いました?
えいご、いやって、聞こえましたけど。私の耳がおかしいのかしら。今、「えいご、いや」って聞こえたのは、きっと、何かの間違いでしょう。
そんなことを、わずか一秒間の間に自問自答した。呆然としている私の膝の上で、息子は、
「にほんごがいい。」
なんだ、こいつ。狂ってしまったのか?わけのわからんことを口走っとるぞ。。
私は、認めたくなかった。認めるわけにはいかなかった。だって、英語教育を崇拝している私の息子が、こともあろうに、2歳にして、「え・い・ご・ぎ・ら・い」になるなんて~~~~~~~~~~。
オゥ ノーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現実を認められない私はうろたえながら、
「トッ、トーマスは英語しかしゃべらないんだよ」となんとか言葉にした。
すかさず2歳児は、
「この前、にほんご、しゃべってたじゃん。」
何言ってんだ、こいつ。頭をハンマーで殴られた、そんなショックを受けてしまった。
こやつ、2歳児のくせに、日本語と英語の認識ができ、しかも、いっちょまえに反抗しているではないか。2歳児に負けた…。大の大人が2歳児に・・・。悔しい。悔しすぎる・・・。
そんな敗北感を感じつつも、息子の成長に思わず、微笑んでしまう俺がいる・・・。
だが俺にも意地があるってもんがる。
 息子よ、トーマスはもう、英語しか、しゃべらんぜ。 

2011年3月2日水曜日

嘔吐下痢

 かわいい息子(2歳)が嘔吐下痢症である。下痢はコンソメスープのごとく、ゲロは食べたものよりも多いのではないかと思うくらい多い。なんてかわいそうなんでしょう。
 夕飯はうどんを刻んだものを食し、調子も戻ってきたと思った。しかし、歯磨きがよくなかった。口に歯ブラシを入れゴシゴシ、歯磨き粉もよくなかったのかもしれない。うがいをして、布団に入った瞬間に、ダ~~~~~~~~~と1ℓは出たであろうゲロが布団にぶちまけられたのだ。
 何とか処理をしたが、そのふとんを妻は捨てよと言う。高かったのに。たかだか隅のほうが、ゲロに浸かっただけなのに。
 ここで、私と妻の感覚の違いが大きく出る。私は鼻がとても悪い。匂いに対してかなり鈍感である。しかし妻は、まるで犬のように、ほんの些細なにおいすらかぎわけるすばらしい鼻をもっているのである。そのすごさは、並のものではない。すかしっぺなど通用するわけもなく、私のほんの少しの汗のにおいするかぎわけ、「臭い!」とひどくののしるほどなのである。そんな犬鼻をもった彼女にとって、至近距離でのゲロの香りなど、拷問に近いのであろう。家じゅうがゲロの香りで満ち溢れているというのである。シャープのプラズマバスター(だっけ?)なんかもまるで役立たないのである。
 私は人類の進化の過程で、臭覚は退化すべきではなかったかと思う。鼻がよくて、いいことって人間にとってあるのだろうか? 旨いものを楽しむにはいいかもしれないが、それはあくまで嗜好というぜいたくな使用法である。最低限、腐ってるものがわかる程度の臭覚でよいのではないか。鼻がいいばかりに、ほんのささいな匂いにも敏感になり、不快感を募らせるくらいなら、もっと退化すべきだったのではないだろうか。
 いずれにしても、すばらしい臭覚を持った妻を、かわいそうに思った今日一日であった。

テニス

 サーラにて、テニススクールを再開した。実に2年ぶりである。長男が生まれてから育休を取り、育休中に長女も生まれた。長男をプールに連れて行っているが、その横でテニスをやっている人たちをうらやましく思っていた。そんな中、妻が再開を許可してくれたのだ。仕事も少し楽になってきたので、思い立ったが吉日、すぐに申し込んできた。
 懐かしい人や新しい人もいた。自分の動きは思ったほどにぶってはおらず、これなら、伊達公子もカムバックするわけだと納得してしまった。
 一つ自分に変化があったことに驚く。それは人のプレーを素直に認めることができるようになったということだ。ゲーム中でも相手のプレーに素直に拍手を送れるようになった。これは大きな出来事である。今までの自分は、うまくいかないときには自分にキレ、人の素晴らしいプレーを認められず、「くそ」とか思いながら、俺のほうがうまい、なんて生意気なことを考えながらプレーしていたのだ。はっきり言って超嫌な奴である。しかし、ある仕事の失敗をきっかけに、自分を大きく変えようと思い、そのことを心掛けて最近生活してきたが、それがテニスにも自然と現れたのだ。まだまだ未熟だが、自分は変わりつつあることを実感した。
 今までの自分は思春期の男の子となんら変わらずにいたのだ。34歳を過ぎ、失敗して初めて少し大人っぽい考えができるようになったのだ。自分の人生はあと、35年ぐらいであろう。もう人生の折り返しだ。あと半分を幸せに暮らせるように、いや、子どもたちに幸せな人生を送らせてやるために、自分は今変わらなければいけないのである。